マウイアンの素顔にふれる町
カフルイとワイルク
KAHULUI & WAILUKU
カフルイとワイルクには観光地の華やかさはない。
だが、訪れる者にまるで故郷に帰ってきたような安心感を与えてくれる。
ここにはリゾートに滞在しているだけでは知ることができない
マウイに住む人々の生活の匂いがあるのだ。



カフルイの歴史

カフルイの歴史はマウイで唯一の大型船が
入港できるカフルイ港から始まった。1790
年、カメハメハ大王は武装船団を率いカフル
イ港からマウイ島に上陸、マウイ軍をイアオ
渓谷に追い詰め撃破、ハワイ諸島統一に向け
て戦いの口火を切った。そのカフルイ港を中
心に発展したカフルイだが、1900年には腺ペ
ストが発生したため、町は焼き尽くされた。
現在のカフルイを築き上げたのは、砂糖キ
ビプランテーションを経営し、またカフルイ
地区の地主でもあったアレキサンダー&ボー
ルドウィン会社。同社はプランテーションで
働く人々の住宅地として、町を開発していっ
た。カフルイの建設が始まった1949年当時、
ワーカーは会社から支給された木造のキャン
プで質素な生活を送っており、自分の家を持
つことは夢だった。人々にとって、カフルイ
の開発はまさに「Dream City=夢の町」の
実現であったのだ。翌年から家が売り出され
たが、その後13年の間にすべて売り尽くされ
た。価格は$6,600〜9,200だったという。

「夢の町」の歩き方

こうしてハワイで最初の都市開発の成功例
となったカフルイは、ドリーム・シティの名
にふさわしく整然とレイアウトされている。
メイン・ストリートはカアフマヌ通り
KaahumanuAve.,カメハメハ大王の寵愛を
受けたカアフマヌ妃にちなんだ通り名だ。海
側にはマウイ・ビーチMaui Beach Hotel、
マウイ・パームスMaui Palms Hotel、マ
ウイ・シーサイドMaui Seaside Hotelの3
軒のエコノミー・ホテルが並ぶ。このロケー
ションなら、カアナパリなどに比べてハレア
カラやハナヘのドライブもぐーんと近くなる。
これらのホテルの向かいには3軒の大型ショ
ッピング・コンプレックス、東からマウイ・
モールMaui Mall、カフルイ・ショッピング
センターKahuluiS.C.、カアフマヌ・センタ
ーKaahumanu Centerがあり、地元の人た
ちや観光客で賑わっている。コンドミニアム
に滞在する人はこれらのショッピングセンタ
ーに入っているマーケットに注目。食料品な
どは島のどのお店よりも安い。
 比較的人通りがあるのはこのあたりだけで、
カアフマヌ通りを一歩外れると閑静な町並み
が続く。プウネネ通リPuunene Ave.の空港
側は倉庫などがある産業地区。反対側が住宅
地で、学校や病院、警察署、教会などもこの
地区に集まっている。
マウイの心臓部、ワイルク

カフルイの西、カアフマヌ通りでつながっ
ているワイルクには、モロカイ、ラナイ、カ
ホオラウエ各島を含むマウイ都庁がある。い
わばマウイの政治経済の中枢部。だが政府の
主要なビルが建ってはいるものの、ワイルク
はまるで眠っているかのように静かな町だ。
近代のワイルク史は1820年代に宣教師が
やってきたころから始まる。彼らは草葺きの
教会を建て、そのまわりに人々が集まり町を
形成していった。ハワイに現存する最古のキ
リスト教会であるカアフマヌ教会も、この地
に建っている。数多くの宣教師のなかでも、
ワイルクの発展にいちばんの功績を残したの
はエドワード・ベイリーだろう。彼はハワイ
で最初の女子校を開設し、教会をデザインし、
道路や橋の建設も監督した。さらに1860年代
にはワイルク・シュガー会社の初代社長とな
り、ワイルクで初めて砂糖の精製にも成功し
ている。当時は中央マウイは砂糖キビ畑だら
けで、カフルイ港まで約2マイルの鉄道も走
っていたという。彼の住居は現在ハレ・ホイ
ケイケHale Hoikeikeという美術館にな
っている。

不思議な魅力を持つワイルク・ダウンタウン

ワイルク・ダウンタウンの中心部、マーケ
ット通りMarket St.とビンヤード通り
Vineyard St沿いには、今にも崩れ落ちそう
な古い建物が建ち並んでいる。すでに破棄さ
れたビルも多く、まるでゴーストタウンのよ
うな雰囲気さえ漂っている。かと思うと、誰
も住んでいないような木造の家屋が夜になる
と大騒ぎのバーであったり、「FUJIYA」とか
「WAKAMATSU」なんていう看板をかか
げたお店があったりして、何とも不思議な町
だ。人通りの少ない道を歩いていると、町の
人が気軽な感じで声をかけてくる。坂道が多
く、町の向こうにはイアオ渓谷の山並みが迫
っていて、どこか日本の田舎町にいるような
気分さえしてくる。ほんの30分も車を走らせ
ると明るく、賑やかなビーチがあるなんてウ
ソのよう。懐かしい気持ちになれるオール
ド・タウン、ワイルクには、リゾートとは違
うマウイのもうひとつの顔がある。
おもな見どころ

カナハ池Kanaha Pond

カフルイの東にある人工の池。1700年代にキ
ハアピイラニ王によって作られたという。後
にカメハメハ大王も利用した王室専用の養魚
場だった。古代ハワイでは1年のうち3〜5
ヵ月間は魚を獲ってはならないというカプー
(ハワイ語で禁制、タブーのこと)があり、
王室の食料確保の目的で池が掘られたわけだ。
ハワイの養魚池のほとんどは塩水だが、この
カハナ池には真水が湧き出ており、水鳥や渡
り鳥の絶好の遊び場となっている。現在は国
立自然保護区に指定されていて、カモ、アオ
サギ、アヒル、チドリなどさまざまな鳥が集
まるためバード・ウオッチャーに人気のスポ
ット。

カナハ・ビーチパークKanaha Beach Park

空港の北側にある好ビーチ。マウイでいちば
んポピュラーなウインドサーフィンのポイン
トとしても知られる。風のないときは底が砂
地のため遊泳にも向いている。週末ともなる
と木陰のベンチでバーベキューを楽しむ家族
連れで賑わう。カフルイからなら空港手前の
レンタカー会社の駐車場の方に左折、つきあ
たりを右に曲がるとビーチパークに入る。ト
イレ、シャワー、ピクニック・テーブル、バ
ーベキュー・グリル、駐車場あり。
マウイ・スワップ・ミートMaui Swap Meet

マウイ最大規模の蚤の市。プウネネ通り沿い、
ワケア通りWakea Ave.の近くのカフル
イ・フェアグラウンドKahului Fair-
groundsで毎週土曜日の8:00-13:00の
間開かれる。とれたての野菜やフルーツ、ハ
ンドクラフトや宝石からガラクタまで並ぶ青
空市場だ。
 

ピハナ&ハレキイ・ヘイアウPihana & Halekii Heiau

ダウンタウンの北、小高い丘の上に2つの大
規模なヘイアウ(神殿跡)が残っている。ど
ちらもいつごろのものかはっきりしていない
が、1700年代の有力な王であったカヘキリ
が、
たびたびこの地を訪れていたという口承
があるので、少なくともそれ以前に建設され
たといわれる。駐車場に近いほうがハレキ
イ・ヘイアウで、約90×50mほどの敷地に岩
が積み上げられていた跡が残っている。ここ
には王か酋長が住んでいた家が何軒かあった
と信じられている。ピハナ・ヘイアウはヘレ
キイよりひと回り小さく、砂と木の葉に覆わ
れてその全貌は残念ながら見ることはできな
い。どちらのヘイアウからもワイルクの町が
一望にできる。
 

カアフマヌ教会Kaahumanu Church

ハイ通りHigh St.の西側に建っているマウ
イでいちばん古いキリスト教会。白塗りの木
と漆喰を塗った石でできた外観が歴史を物語
っている。4回改装されており、現在の建物
は1876年に完成したもの。オリジナルは1832
年に建てられ、その当時は草葺きの掘っ立て
小屋だったという。


ハレ・ホイケイケHaleHoikeike

カアフマヌ通りからイアオ・バレー通りに直
進して、すぐ左側にあるミュージアム。もと
はハワイで最初の女子のための教育機関、ワ
イルク女子学院の校長を務めた宣教師エドワ
ード・ベイリーEdward Baileyが住んでい
た家。1833年に建設された。当時は女子が教
育を受けることはなかったため、同学院の開
校は画期的なことであった。ベイリー氏は優
れた芸術家で音楽を教えたり、多くの風景画
を描いた。ミュージアムの1階には彼の作品
やアートクラフトなどが展示されている。2
階では1850年代の暮らしぶりがわかる家具
類を見学できる。オープンは毎日10:
00-16:30。入館は無料だが、寄付金を求め
られる。