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ラム(Rum)

ラムの歴史と語源

ラムは、サトウキビ(甘蔗、Sugarcane)が原料の蒸留酒である。一般的には、 サトウキビの絞り汁を煮詰めて、砂糖の結晶を取り除いたあとの糖蜜を原料とすることが多い。この残った糖蜜のことをモラセズ(molasses)というので、ラム は「モラセズ・スピリット」という異名を持つ。ただ、地方によっては、サトウ キビの絞り汁をそのまま水で薄めてつくることもあり、それもラムの仲間として 扱われている。

ラムは、カリブ海に浮かぶ西インド諸島で生まれた。原料のサトウキビは、コ ロンブスの新大陸発見とともに南欧から持ち込まれた。この地の気候と適合し、 西インド諸島は世界一のサトウキビ生産地となった。 17世紀初め、西インド諸島のひとつバルバドス島へ蒸留技術を持つイギリス人 が移住してきて、豊富に繁っているサトウキビから蒸留酒をつくったのがラムの 始まりだといわれている。また、一方では、16世紀初頭、プエルトリコに渡った スペインの探検家ポンセ・デ・レオン(PoncedeLeon)の隊の中に蒸留技術を 持った隊員がおり、土地のサトウキビを利用してラムをつくったという説もある。

いずれにしても、ラムは西インド諸島で生まれ、少なくとも17世紀にはつくられていたといえる。 また、ラムという酒客も、この西インド諸島で生まれた。17世紀、チャールズ I1世時代のイギリスの植民地記録によると「サトウキビから蒸留した強烈な酒を、 生まれて初めて口にした島の土着民たちは、みな酔って興奮(ランバリオン、rum- bullion)した」という。

このランバリオンという英語は、現在は廃語となってい るが、この語頭の部分が残って、ラム(Rum)という酒客になったのではないか、 というのが英語学者たちの説である。 現在、ラムのフランス語はロム(Rhum)、スペイン語はロン(Ron)、ポルトガ ル語はロム(Rom)だが、いずれも前述英語のラム(Rum)から転化したものと考 えられる。 ラムは、その後、ジャマイカ島を中心に砂糖工業が発達し、それにともない糖蜜を用いる蒸留業として生産が盛んになる。 18世紀に入ると、航海技術の進歩と、ヨーロッパ列強の植民地政策によって、 酒として大きく発展する。まず、アフリカから黒人を奴隷として西インド諸島に 連れてきて、サトウキビ栽培の労働力とする。そのカラになった船に糖蜜を積み アメリカのニュー・イングランドに運ぶ。ここで糖蜜からつくったラムを積み込 み、アフリカに戻る。そのラムは、アフリカの黒人と交換される。これが植民地 史上有名な「三角貿易」といわれる史実である。つまり、ラムは、アフリカ黒人 が奴隷として売買されるという悲しい過去の中で世界的な酒へと育っできたわけである。

また、この史実でわかるように、アメリカで最初に蒸留された酒は、バーボンでも、ウイスキーでもなく、西インド諸島から輸入する糖蜜でつくったラムであった。これは新大陸の人々にとってたいへんに魅力ある商売だった。 1733年に、イギリス政府はイギリス植民地以外の土地からアメリカヘの糖蜜輸 入に対して、禁止的な高い税金を課することにした。低価格で良品質のフランス 植民地からの糖蜜輸入を防止しようとしたのである。さらに、64年には「糖蜜 法」により、33年の法律以降盛んになった密輸を厳しく監視した。これが、アメ リカの独立戦争の大きな原因のひとつだといわれているくらいである。 1807年には「糖蜜の輸入禁止令」、翌8年の「奴隷取引廃止令」により、アメ リカ本国でのラム製造は終わり、ウイスキー製造に代わっていく。

ラムの歴史の中で、もうひとつ忘れてならないのは、ラムとイギリス海軍の関 係である。イギリス海軍では従来、水兵にビールを支給していたが、バーノン提督は粗製ラムには壊血病予防の効果があると信じて、昼食前に半パイント(284 ml)のラムを水兵に支給することにした。水兵たちは喜んで、提督を「いい 奴」の意味を込めて「オールド・ラミー(OldRummy)」と呼んだので、ここか らラムという酒客ができたという説もある。なお、現在はラミーには「いい奴」 という意味はなく、「酔っぱらい」という意味がある。 ところが、午後の作業に支障をきたすものがいたので、1740年にバーノン提督 はラムを4倍の水割りにし、2回に分けての支給に変えた。新しい命令に不平 満々の水兵たちは、この支給酒をバカにして、提督がいつも着ているよれよれの グログラム(絹とウールの交織による粗い布地)のマントをもじって「クロッグ」 と呼んだ。これから安酒を売る居酒屋を「クロッグ・ショップ」と呼ぶ言葉や、 水割りのクロッグでも弱い酒とバカにして飲み過ぎればフラフラに酔っぱらうと ころからrグロッキー」が生まれている。 ボクシング用語の「グロッキー」もここから生まれた。

ラムの製造方法 ラムは、風味の軽いライト・ラム、風味の重いヘビー・ラム、その中間のミデ ィアム・ラムの3つのタイプに分類される。また、色からホワイト・ラム・ゴー ルド・ラム、ダーク・ラムの3つに分けることもできる。 ライト・ラムは、糖蜜を水で薄め、純粋培養酵母で発酵させ、連続式蒸留機で 高濃度に蒸留するが、最高アルコール度数は95度未満におさえられる。それ以上 の濃度で蒸留すると、ニュートラル・スピリッツと変わらなくなってしまうから である。これを割り水で薄め、タンク熟成か、内面を焦がしていないオーク樽で 熟成したあと、活性炭などの層を通して濾過する。柔らかな風味とデリケートな 味が特徴となる。樽熟成による着色をそのまま活かすと、ゴールド・ラムになる。

ヘビー・ラムは、自然発酵させ単式蒸留を行なう。糖蜜を採ってから2-3日 放置しておくと、酸が生成され、これにサトウキビの絞り粕(バガス、bagasse) や前回の蒸留残液(ダンダー、dunder)などを加えて発酵させる。これによって 独特の香気が生じるが、さらに単式蒸留機で蒸留するのである。留出してきた新酒は、内側を焦がしたオーク樽で3年以上熟成させる。この場合、バーボンの使用樽を用いることもある。

熟成を経て生まれてくる酒は、アルコール以外の副生 成分を多く含んだ、風味豊かで濃い褐色をしたヘビー・ラムとなる。 ミディアム・ラムの製法は、ヘビー・ラムと同じような発酵をさせたもろみを連続式蒸留機で蒸留する方法と、同一蒸留所でライト・ラムとヘビー・ラムをブ レンドしてつくる方法などがある。ラム本来の風味と香りを持ちながら、ヘビ ー・ラムほど強い個性はないのがミディアム・ラムの特徴である。

ラムの産地 ライト・ラムは、19世紀半ばを過ぎてから連続式蒸留機の導入によってつくら れるようになった。その先鞭をつけたのが、当時キューバに工場を持っていたバカルディ社であった。その後、主としてスペイン系の植民地に広がり、現在でも プエルトリコ、バハマ、キューバ、メキシコなどがライト・ラムの主産地になっ ている。・ ヘビー・ラムは、イギリス系の植民地で発展してきた。 現在は、ジャマイカ、 ガイアナなどが主産地となっている。

ミディアム・ラムは、フランス系の植民地でつくられてきた。今でも、フラン スの海外県であるマルチニック島が主産地であるが、同じくグァドループ島でも つくられている。こうしたフランス系のラムは、二つのタイプに分けられる。ひ とつは、サトウキビの絞り汁をそのまま水で薄めてつくるもので、これはアグリ コール(agricole、農業生産品の意)という表記が許される。もうひとつは、搾汁 から砂糖の結晶を除いたあとの糖蜜からつくるもので、これはアンデュストリエ ル(industriel、工業生産品の意)と区別される。ラベルに、アグリコールの表記 のないものは、こちらのタイプと考えていい。なお、両者とも、オーク樽で3年 以上熟成したものは、ヴィユー(vieUX、オールドの意)と表記できる。 その他のラム ブラジルでは、国民酒ピンガ(Pinga)がつくられる。サトウキビの絞り汁を濁 ったまま発酵し、単式蒸留する。

それを樽熟成してから、活性炭処理して無色透明の形で製品化するが、副生成分が多く酒質は重い。 また、東南アジアでもアラック(Arrack)の中に、糖蜜を発酵し、蒸留したアロマティックな香り高いものがある。 他には、スペイン、南米各地でサトウキビを原料としたスピリッツがつくられ、 アグアルディエンデ・デ・カーニャ(AguardientedeCana)の名で売られているが、これも一種の地酒的なラムとみてよい。 糖蜜は、エチル・アルコールをつくる原料としては、穀物よりもコストが安く、 工業用アルコールの原料としても広く用いられている。また、糖蜜を95度以上に 蒸留したニュートラル・スピリッツは、日本で「原料用アルコール」として清酒や焼酎にも使われている。

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