安全とルール

昨年超こったウインド'
サーフィン中の事故からどういう
教訓を読みとるか。


93年度は、悲痛な事故の話しが幾つか聞かれた 年であった。その原因が何であるかの特定は難し い。マナーの問題であったか、ルール上のものか、 或は無暴であったのか、それは事故を起こした者 のみぞ知ることであろう。しかし、近年事故が増 加していることは確かだし、事故になりうる要素 がいたるところにころがっていることも確かだ。 何故そうなったのかと言うと、単に人口が増えた ことのせいにはできない。道具の進化によるとこ ろが多いと言えよう。セイルの持つ能力、ボード の持つスピード性は人々の能力を越えたものにな ってしまった。もちろん、その道具類の進化がウ インドサーフィンを面白くしているのだが、性能

  の向上が暴走を生み出していることも確かだ。そ して事故とは、はずみで起こるものであることも 重要だ。ほんとちょっとした気の抜けた瞬間、そ れは疲れや、過心や、いら立ちなどから起きる。 そんな心理的要素に、コンディションとシチュエ ーションが加わってしまうと、新聞ネタになる程 の大きな事故になってしまうのだ。特に93年の事 故の中で際立って目立ってしまったのが、琵琶湖 での正面衝突事故が2件、その内一人は死亡して しまった。そして三浦での漂流、交通事故の2件 だ。いずれも、ノーマルな状態であれば考えられ ない事故であったと言えよう。ウインドサーフィ ンでの事故、特に死亡事故となると、我々は悲し みに包まれてしまう。例えそれが見知らぬ人であ ってもだ。ウインドサーフィンにのめり込み、熱 中している人達の気持ちが良く解かるから余計な のであろう。二度と同じような事故は起きて欲し くない、仲間を失いたくない、という気持ちは誰 もが持っているはずだ。 ルールを守る。このことが事故を無くし、安全 を守る要素のひとつであることは確
     
かだ。海上で の法律では、ウインドサーフィンはあくまでも帆 船に属する。そしてそのルールの中に三大原則と いうものがある。果して、何割の人がこのルール を完全に把握しているのだろうか。更に加えて言 えば、今現在世界中に、或いは日本にある協会が 多少の質の違いはあれども、ルールを持っている。
誰もがそれを、レーシングルールだから、レース の時にしか関係がないと、思ってはいないだろう か。先にも述べたが、ウインドサーフィンのルー ルは、下手をすれば、たったの三つしかないのだ。 それでは人は右、自転車と車は左側通行、と言っ て全てを終わらせてしまうようなものだ。それだ けでは安全は守れやしない。だから道路交通法に は様々なルールがある。そしてそれをウインドサ ーフィンに当てはめるとすれば、今はレーシング ルールに頼るしかないのだ。ルーム、オーバーラ
ップといった言葉から、どんな優先権を思いつく だろう。単にマークブイを回る時の問題だけでは ない。堤防や、船、岸壁やテトラポットといった
障害物に対するものもあるし、どんな状態でも2 艇以上が重なっているのかなども、ルールによっ て対処すべき方法が明記されているのだ。
  もちろ んルールだけに拘っていたのでは、まだまだ事故 が起こる。そこに出てくるのはマナーであろう。 モラルやエチケットという言葉も出てくる。それ ぞれのゲレンデコンディションに応じて作り上げ られたルールもあろう。とにかく我身だけちでは なく、ルールにのっとった上での人を思いやる気 持ちが大切なのではなかろうか。自分の限界を起 えるような無理はしないこと、それが大切なのだ と思う。究極としては、自分の身は自分で守るし かない。楽しいという言葉の裏には必ず安全とい う言葉がある。どんなにリスキーに見えるもので も、安全性がなければ楽しくない。もしも、フォ ワードループに試みると98%はケガをすると言わ れたら、いったいどうするだろう。おそらく数字 の通りに98%の人はチャレンジしないだろう。し かし実際には、そんな確率は存在しない。だから こそ、誰もがループするのだ。安全という言葉を 無視してはいけない。リスクに向かってチャレン ジする精神も非常に重要だ。ただ、無茶をするこ ととは違う。そこのところをしっかりと認識して おくこと、それが大事なのだ。基本的なルールを 把握した上でマナーを守る。それによって事故の 多発は防げるようになるはずだ。

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