スラロームボード前史 | ||
いかにしてスラロームボードは スラロームボードとなりえたのか。 スラローム競技が現在の形式になる発端を作り 出したのは、ホキパで行われたマウイグランプリ だ。当時はまだウェイブボードで行われており、 そこに始めてスラロームボードと呼ばれる専用ボ ードが登場し、そのボードはボトムに2つの織方 向の溝を持つダブルコンケーブボトムであり、そ れはロビーナッシュによって持ち込まれたものだ った。スラロームボードの歴史はそこから始まっ たと言っていい。1983年のことだ。 スラロームボードに求められるのは言うまでも なく"スピード"だ。そのスピードとは初速から 始まり、トップスピードまで至る。ウェイブに乗 るためのロッカーでは初速が悪かった。そこでボ トムロッカーにストレートラインを持つ溝を入れ ることで強制的に水流を直線的なものとし、ボー ドのリフトを高める効果を持たせた。それ以来、 ボトム形状は実に様々なタイプが登場し、消えて いったものも多い。当時、ショートボードだけで なくほとんどのボードにコンケーブが入っており、 少なくてシングル、多ければ6本ものコンケーブ → |
が掘られていた程、コンケーブは当り前の、べー
シックなデザインだったのだ。その頃に"マルチ コンケーブ"時代の到来となる。従来ダブルコン ケーブははっきりとしたセンターキールラインを
持ち、それはノーズからテイルにかけてストレー トに入っていた。しかし、トリプルコンケーブ以 上になると、キールラインは直線だったり、曲線 だったりと、また、キールに侠まれたセンター部
分はフラットであったり、逆に両サイドがフラッ トであったりと、命名に困る程の形状が多くなっ ていったのだ。現在のようなフラットボトムが普 及し始めたのは90年頃。それ以前にもフラット 〜Vアウトのボトムが最もスピード性に優れてい ると言っていたデザイナーもいるのだが、コンケ ーブヘの信頼が厚く、広まるには至らなかったの だ。フラットボトムが一般化した要因になってい るのは、セイルを中心としたリグ部全体の進化に よってロッカーラインが変化し、ボリュームと重 量バランスがコントロールされ、加えて、マスト フット、ストラップポジションがテイル寄りに後 退したことだ。いわゆる後ろ乗りのフォームにな ったことによってノーズリフトが早まり、接水面 が後退した。それによって無理矢理水流をコント |
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ロールしてリフトを早めようとする必要もなくな ったので、コンケーブは徐々に浅くなってゆき、
遂には無用のモノとなったのだ。 更に道具は進化してゆく。ボードの進化はセイ ルの進化を、はたまた逆の影響をという具合に、 次第に完成度を増してくるようになっていく。そ の中でも大きなきっかけとなったのはセイルのバ イアスペクト化であろう。LPが短かくなり、以前 よりもマストを直立させた形に近い乗り方になっ たことによって更にマストフットは後退し、いつ の間にか、ボードの中心付近にマストをセットす るようになった。この事によって、ノーズのボリ ュームが無用のモノとなり、ひとまずボリューム が削ぎ落とされた、薄いノーズを持つボードヘと 変化したのだ。しかし、ノーズの上下動は、それ だけでは止めることはできなかった。次に登場し たのがノーノーズと呼ばれる、細く、薄いノーズ を持つボードだ。スタンディングポジションとマ ストフットの後退がこのノーノーズデザインを生 み出し、特に、アップダウンの差の激しいコース スラロームレースによって、その効果は実証され ていった。従来、スピードの出やすいアウトライ → |
ンはガンタイプというのが常識だった。しかし、 それとはほぽ正反対とも思えるエッグデザインが 主流となっていったのだ。しかし、このデザイン
にも適所というものがあった。比較的ライトウイ ンドであれば良いのだが、ラフウォーター、ハイ ウインドとなると、許容能力の無さが露呈し始め、
ワイドポイントがあまりにも後方に位置している エッグタイプではコントロール性に欠くことが明 らかになっていったのだ。 「Windsurf CLUB 1994/4より」 |