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ジン(Gin)
 ジンは、穀物を原料とし、糖化、発酵、蒸留させたあと、草根木皮とともに、 再蒸留させた酒をさす。無色透明で、さわやかな香り、切れ味のよい風味を持っ た辛口の酒である。 ただ、広い意味でのジンの中には、無色透明ながら甘味を加えて飲みやすくし たものや、フルーツの香味と色を添えて、リキュール・タイプにつくったものも ある。そういったジンに対して、前述の無色透明、辛口のジンのことを「ドラ イ・ジン」と称しているが、このドライ・ジンこそジンの主流派であり、ふつう、 ただ単にジンというときはこのドライ・ジンのことを意味している。

 ジンの起源は、1660年、オランダのライデン大学医学部教授シルヴイウス博士 (Dr.Sylvius、本名はフランシスクス・デ・ラ・ボエ、FranciscusdelaBo6)がつくった薬用酒である。彼は、植民地での熱病の特効薬として、その当時、利尿
 効果があると認められていたジュニパー・ベリー(杜松の実、JuniperBerry)を アルコールに浸漬して蒸留し、利尿剤をつくった。 そしてジュニパー・ベリーの フランス語ジュニエーヴル(Geni6vre)と名づけて、この薬用酒は売り出された。

  当時、蒸留酒を飲む習慣は、わずかながらできつつあったが、まだ簡単な構造 のポット・スチルでつくられていたため、雅味の多い酒が出回っていた。ジュニ パー・ベリーのさわやかな香りのこの薬は、その効用もさることながら、人々に 喜ばれふつうの酒として飲用が広まる。名称もオランダ語でイェネーフェル (Genever)、あるいはイェネーファ(Geneva)と呼ばれ愛飲されるに至った。 このイェネーフェル飲用の習慣は、1689年にオランダのオレンジ公ウィリアム がイギリス国王に迎えられるとともに、イギリスにも広まり、とくにロンドンで は爆発的に流行した。そし
て、酒の名称もジュニエーブルが短縮されて、ジン (Gin)と呼ばれるようになった。

19世紀に入ると、連続式蒸留機の発達とともに、イギリスのジンもそれを利用 して、クセのないライトな風味を持つ、洗練された酒として生まれ変わった。こ れ以降、イギリスのジンは、ブリティッシュ・ジン、あるいは主産地の名をつけ てロンドン・ジンと呼ばれ、相変わらずポット・スチルでつくられるイェネーフエルとはタイプが異なり、独自のジンとしての道を歩き始め、今日に至っている。 現在、ジンは世界各国でつくられるが、その大半は、ロンドン・ジン・タイプ のドライ・ジンである。 また、アメリカに渡ったジンは、カクテルベースとして一躍脚光を浴び、世界 的に有名となった。「ジンは、オランダ人が生み、イギリス人が洗練し、アメリ カ人が栄光を与えた」といわれるが、その歴史を雄弁に物語っている。


ドライ・ジン(DryGin) オランダ・ジン(Genever) その他のジン
 ドライ・ジンの主原料は、トウモロコシ、大麦麦芽であるが、ときにはライ麦 なども使われる。これらを発酵後、連続式蒸留機で95%以上のグレーン・スピリ ッツをつくるが、ウオツカ製造の場合よりやや低く押さえられるのが一般的であ る。 このスピリッツは、ジュニパー・ベリーその他の草根木皮とともに、再蒸留さ れるが、その方法には二通りある。ひとつは、草根木皮をスピリッツに加えて、 ポット・スチルで蒸留する方法である。もうひとつは、ポット・スチル上部にジ ン・ヘッドと呼ばれる上下が金網でできた円筒を取りつけ、その中に草根木皮を詰め、蒸留されてくるスピリッツ蒸気とともに香気成分も一緒に抽出させる方法 である。 香りつけに使われる草根木皮類はジュニパー・ベリーの他に、コリアンダー、 アニス、キャラウェイ、フェンネル、カーダモンなどの種子、アンジェリカ、オ リス、リコリス、カラマスなどの根、レモン、オレンジの果皮、シナモンの樹皮 なども加えられる。ただし、細かな点は、各製造メーカーのノウハウになってい て、公表されていない。そのノウハウの差は、ブランドごとの風味の差となって あらわれている。 しかし、総体的にみると、さわやかな香気が高く、ライトな風味で切れ味のよ い蒸留酒といえよう。

 オランダのジンは、現在も昔ながらにポット・スチルで蒸留するものが主流で ある。しかし、近年ドライ・ジン・タイプの生産も徐々に伸びている。
 イェネーファ(Geneva)、またはイェネーフェル(Genever)は、オランダ以外の .国ではジュネヴァと呼ばれている。主原料は、大麦麦芽、トウモロコシ、ライ麦 であり、初めからこれらを混合して使用する。ドライ・ジンより大麦麦芽を多く 使うため、麦芽香ができあがりの酒に残るのが特徴である。 原料穀物を糖化、発酵させ、単式蒸留機で2回ないし3回蒸留する。この蒸留 酒にジュニパー・ベリーやその他の草根木皮類を加えて、さらにもう一度単式蒸 留機で蒸留が行なわれる。こうしてできるジンは、香味にコクがあり、麦芽の香 りが残ったややヘビーな酒質を持つ。そのため、カクテルのべ一スにするより、 主としてストレートで飲まれる。また、ボトルごと冷やして飲むのを好む人も多 い。 このタイプのジンは、ジュネヴァ以外に、ダッチ・ジュネヴァ(DutchGe- neva)、ホランズ(Hollands)、スキーダム(Schiedam)などとも呼ばれている。

 シュタインヘーガー(Steinhager) ドイツの蒸留酒で、ジンの一種と考えていい。ドイツ西部ヴェストファーレン (Westfalen)州のシュタインハーゲン(Steinhagen)という村で生まれたことか らこの名があるが、現在はその他の州でもつくられている。 この製法は、まず、生のジュニパー・ベリー(約20%程度の糖質が含まれる)を 発酵、単式蒸留機でジュニパー・ベリーのスピリッツをつくる。 一方、トウモロコシ、大麦麦芽でグレーン・スピリッツをつくり、ジュニパ ー・ベリー・スピリッツとブレンドして、再蒸留したものが、シュタインヘーガ ーとして製品化される。ジュニパー・ベリーを初めから発酵させて使うので、香味がおだやかで、オランダ・ジンとロンドン・ドライ・ジンの中間的な風味を持 っ。冷凍庫で強く冷やしてビールとともに飲まれることが多い。

オールド・トム・ジン(OldTomGin) フレーバード・ジン(FlavoredGin)
 ドライ・ジンに砂糖を2%程度加え、甘口に仕上げたジンである。
製法の基本 的な点では、ドライ・ジンと同じである。 オールド・トム・ジンの由来は、18世紀、ロンドンで猫の姿のジン販売機を置き、その猫の口にコインを入れると、足から甘口のジン(当時は、品質的にまだ 雅味が多く、飲みやすくするため砂糖で甘味づけした)が出てくる仕掛けをつくったところ大ヒットした。オス猫をトム・キャットというところからこのジンは オールド・トム・ジンと呼ばれるようになった。 近年では、世界的に辛口のジンが好まれているため、このオールド・トム・ジ ンに対する需要は減少の傾向を見せている。もし、カクテル・レシピに「オール ド・トム・ジン」という指定があって、現物が入手困難なときは、ドライ・ジン を使って、少量の砂糖かシロップを加えれば味の点ではほとんど差のないものができる。

 ジンには、フルーツや特殊な香草で香味をつけたものがある。
これらは、総称 してフレーバード・ジンと呼ばれている。代表的なものに、スロー・ジン(Sloe Gin)、レモン・ジン(LemonGin)、オレンジ・ジン(OrangeGin)、ミント・ジ ン(MintGin)、ジンジャー・ジン(GingerGin)などがある。 これらフレーバード・ジンは、ドライ・ジンのべ一スになるのと同じグレーン・スピリッツを得たのち、ジュニパー・ベリーやその他の草根木皮で香味づけ をする代わりに、フルーツや特殊な香草などで香味づけをし、さらに糖分を加え て、リキュール仕立てにしたものである。 スロー・ジンは、スピリッツにスロー(スモモの一種)を浸漬し、砂糖を加えて 熟成させたのち濾過したもので、日本の梅酒に似た趣がある。レモン・ジン、オ レンジ・ジンは、レモン果皮、オレンジ果皮を香味づけの主原料とし、やはり甘 味をつけてある。ミント・ジンはハッカの香味、ジンジャー・ジンはしょうがの 香味でそれぞれ特徴づけられた酒で、これらも甘味をつけてある。 日本では、これらの酒は酒税法上リキュールとして扱われている。

 

 スピリッツとは、 酒について使われる 場合は蒸留酒全般を 指す。その意味では ウイスキーもブラン デーも、
スピリッツ の範ちゅうにはいる が、カクテルのベー スで考えると、ジン が圧倒的に多い。それはなによりもほか の材料との相性がいいからだろ う。

それほどまでに好まれるジン の魅力について迫ってみた。

GIN ST0RY

 上質スピリッツの長い旅 ジンはドライに出世する 遠い昔。 ジンは嘲られ、蔑まれる安酒だった。苦節幾星霜。ク リーン・アンド・ドライヘの努力を重ねながら、上質への階段 を、営々と昇りつづけてきたジン。 その出世物語は、しぶとさと不屈の香りに満ちている 出世魚という言葉があるけれども、スピリッツと呼ばれる酒の世界にも、「出世酒」と 呼びたくなるような酒がある。 それは、ジンである。 なぜ、ジンが"出世酒なのかと言えば、 最低辺のどん底から這いあがり、上のクラス をめざしてきた波乱万丈の歴史に彩られてい るからである。 いまでは、一流のホテルやバーの棚に、スコッチ・ウイスキーやブランデーと肩を並べ ているジンのボトルである。  300年前のロンドンでジンと いえば、最下級クラス御用達 の極安のアルコール飲料なので あった。 当時のロンドンは非常に水質が悪く、飲用 に適した水を容易に手に入れることができた かった。ミルクも、まだ殺菌加工が導入され る前のことだから衛生状態が悪く安心して 口にすることができない 仕方がないから、ロンドンっ子たちは、いきおいアルコール飲料で喉をうるおすという ことになる。 1695年の時点では、酒税の高いビール やエール(ビールの一種)に比べると、ジン はもっとも安価なアルコール飲料として存在 していた。ちなみに当時のジンは、ジェネバ と呼ばれるオランダ・ジンで、何の規制も行 なわれていなかったため、勝手放題に造られ た粗製乱造の不純なジンがあちこちで売られ ていた。 その頃、上流階級が好んで飲んでいたのは、 フランスから輸入されていたワインやブラン デー、そしてエールであった。  こうした上質のアルコールを手に入れるこ とができないその他大勢のひとびとは、ドラム・ショップと呼ばれた"酒の量り売り屋〃 に出かけて安価なジンを手に入れるしかなか った。 値段は安いけれども、あまり質のよくない ジンが大量に出回ることで、困った問題が生 じてくる。
そうしたジンを飲み過ぎて正体を失った泥 酔漢や正気を失った乱酔者たちがロンドンの 街にみるみる増殖をはじめたのである。 そうした酔っ払いたちの乱痴気騒ぎは、 "ジン・マッドネス〃と呼ばれ、ジンの匂いにまみれた連中が集まる場所は、"ジン・レ イン(ジン横丁)〃と呼ばれたのであった。

 画家ウイリアム・ホガースは、道端の溝に 転落した酔っ払い男や胸をはだけた酔っ払い 女たちの狂躁ぶりをリアルに描いた「ジン・ レイン」と題した木版画を残している。 ジンの濫用、乱酔に業を煮やした議会は、 1751年に「アルコール条例」を制定し、 ジンを巡る劣悪な環境の改善に乗りだしはじ める。この条例によって素人同然の蒸溜所や 路地裏のいかがわしいジン販売店は不許可と なって取り除かれ、しかるべき条件を満たし ている蒸溜所にジン製造のお墨つきが与えら れたのであった。 その後の10年間でジンの濫用は治まりはじめ、ジンの品質は向上し、価格も上昇する。  ジンという酒の進化と出世 の物語は、およそ240年 前のロンドンで語られはじめたのであった。 1760年代に入ると、ジンは下層階級の アルコール飲料という不名誉な地位を脱し、 それまでとは異なるひとびとにも飲まれるようになった。 ロンドン.ドライ・ジンの銘柄のなかでも古株のゴードン社は、1760年代の終わり の年に創業されている。 その後、砂糖を添加したスイート・ジン、 いわゆる"オールド・トム〃と呼ばれる甘み のあるジンが好んで飲まれた半世紀ほどを経 て、ジンの製造法に画期的な変化が訪れる。 1825年から35年にかけて、パテント・スチル即ち連続式蒸溜装置がスコットラ ンドとアイルランドのふたりの技師によって 考案され、格段に精製度の高いスピリッツを 確実に造りだすことができるようになったの である。 このパテント・スチルを活用することで、 ジンはまた1歩、というより2多分も3多分 も、上質への階段を昇ることができたのであ った。 クリーン(清々しく) クリア(澄みきった) アロマチック(香りのよい) というジンの3大特質を造りだす蒸溜術の 基本は、1830年代に形づくられたと言っ ていい。   1850年代になると、ジンは中流階級は もとより、ハイ・ソサエティのひとびとも愛 好するアルコール飲料として存在感を発揮し はじめる。格式を尊ぶロンドンのジェントル マンズ・クラブでも、ジンが供され、飲まれ るようになる。その出自からは考えられない ような"出世〃を、ジンは果たしたというわ けである。 1800年代の後半には、ロンドン・ドラ イ・ジンの蒸溜所はさらに規模の大きなもの となり、それぞれに"クリーン・アンド・ド ライ〃を競っ銘柄が顔を揃える。ビーフィー ター、ブースズ、ブードルズ、ギルビーズ。 そしてタンカレーと合併したゴードン。

"ジ ン・パレス〃と呼ばれた酒場のスケールもま すます大きくなり、そこではさまざまなタイ プの〃ドライ・ジン〃が用意されているのだ った。 ジンの出世物語にさらに鮮 やかな彩りを与えたのは、20 世紀の幕開けとともにやって きたカクテルの時代だった。
1912年、ニューヨークのホテル、ニッ カボッカーのバーで誕生した〃マティーニ"。 ドライ・ジンとベルモットを等量ずつミッ クスしてビターズを垂らし、レモン・ピール を添えたこのカクテルは、その後ジン・カク テルのナンバー・ワンの地位を占めつづける ことになるわけである。マティーニの成功に よって、そのベースとしてのジンもまた上質 なスピリッツとしての確固たる地位を不動のものとしたのだった。 フランクリン・D・ルーズベルト大統領も 大のマティーニ党であった。 悪名高い禁酒法が廃止された1934年、 ルーズベルト大統領はそれを祝して自分好み のレシピによる特製マティーニを造り、喉を 潤して快哉を叫んだと言われている。 ちなみにルーズベルト式マティーニは、ジンとベルモットの割合は2対1、スプーン一 杯分のオリーブ・ウォーターとオリーブの 実、レモン・ピールを添え、というなかなか 念の入ったものであった。 かってジン・マッドネスと噺られ、下等な 酒として蔑まれていたジンをベースにしたカ クテルに舌つづみを打ち、目を細めるプレヴ テント・ルーズベルト。


こうした優雅な光景 を目のあたりにしたら、18世紀ジン・レイン (ジン横丁)の狂乱ぶりを描いたウイリア ム・ホガース画伯は、ジンの偉大なる出世ぶ りにわが目を疑ったに違いない。 1960年代のラベル ジンの世界的なトップ・ブランド。トレード・マークの野豚は一貫して変わらないが、上の紋章と文字の配列が微妙 に変化している。現在のラベルにない"Theheartofa goodcocktail"の文字が、いかにカクテルによく使われて いたかを物語るかのようだ。

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